もどり場

同じ場所

絶望と希望は、

反対の言葉として並べられる。

希望がある。

希望を失う。

絶望する。

まるで、

片方が消えれば、

もう片方が現れるように。

けれど、

本当にそうだろうか。

もう駄目だと思った夜にも、

人は明日の目覚ましをかける。

何も考えたくないと言いながら、

冷蔵庫には、

明日のための食べ物が残してある。

もうどうでもいいと思いながら、

届くはずのない返事を、

もう一度だけ確認する。

それを希望と呼ぶには、

あまりにも頼りない。

明るくもない。

前向きでもない。

未来を信じているわけでもない。

けれど、

完全には切れていない。

ほんの一本、

まだ明日とつながっている。

もしかすると、

希望とは、

もっと立派なものだと思いすぎていたのかもしれない。

夢があることでも、

未来を信じられることでも、

笑って前を向けることでもない。

もう駄目だと思った人の中にさえ、

なぜか最後まで残ってしまうもの。

本人ですら、

それが残っていることに気づかないほど、

細いもの。

だから、

絶望した人に、

希望を持てと言うのは、

少しおかしいのかもしれない。

もう、

そこにあるのだから。

見えないほど細くなって、

名前すら失って、

それでも、

まだ切れていない。

絶望と希望は、

反対側にあるのではない。

ときに、

同じ場所にある。

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