もどり場

そうではないもの

「なぜ、そうするのですか?」

そう尋ねたとき、

「そういうものだから」

と返ってくることがある。

私たちは、たくさんの
「そういうもの」の中で暮らしている。

赤信号では止まる。

順番が来るまで並ぶ。

人に迷惑をかけない。

いちいち理由を確かめなくても、
みんなが同じように振る舞うことで、
社会はずいぶん安全に動いている。

だから、常識や習慣は、
むやみに壊せばいいものではない。

それは長い時間をかけて作られた、
暮らしのための柵でもある。

ただ、

その安全な柵の内側にも、
まだ解決していない問題は残っている。

不便だけれど、昔からこうだから。

うまくいかないけれど、これが普通だから。

なぜ、この形なのか。

なぜ、この方法なのか。

そう尋ねても、

「そういうものだから」

そこで話が終わってしまう。

考えてみれば、少し妙である。

問題は残っているのに、

問題を生んだかもしれない前提だけは、
なぜか疑ってはいけない。

不便は残していい。

矛盾も残していい。

でも、前提だけは触ってはいけない。

それでは、

答えが見つからないのも当然なのかもしれない。

新しいものというと、

誰も見たことのない何かを、
ゼロから生み出すように聞こえる。

けれど、人間が生み出してきたものは、
そんなものばかりではない。

すでにあったものと、
すでにあったもの。

誰もが知っていたものと、
誰もが知っていたもの。

それまで出会わなかった二つが出会うだけで、

昨日まで存在しなかったものになることがある。

足りなかったのは、
新しい材料ではない。

まだ試されていない組み合わせだった。

だとすれば、

未発見のものは、
ずっと遠くにあるとは限らない。

私たちの目の前に、
もう全部そろっているのかもしれない。

ただ、

毎日見ているから、見えなくなっている。

当たり前すぎて、疑わなくなっている。

「そういうもの」という言葉の向こう側を、
探さなくなっている。

常識は、世界を分かりやすくしてくれる。

習慣は、私たちを安全にしてくれる。

だから、普段は柵の内側でいい。

けれど、

どうしても解けない問題に出会ったときまで、

その柵の内側だけを探す必要はない。

壊さなくていい。

捨てなくていい。

ほんの一歩だけ、
外から眺めてみればいい。

新しい常識のかけらは、
既にある常識の外側にあるのかもしれない。

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

PAGE TOP