夜中の二時から三時頃を、
「丑三つ時」という。
昔はこの時間になると、
人ならざるものが現れると言われた。
鬼や、物の怪や、幽霊。
怪談には、
決まってこの時刻が登場する。
現代人は笑うかもしれない。
幽霊など、いるものか、と。
けれど、
眠れない夜を過ごした人なら、
少しだけ分かる気がする。
確かにこの時間には、
何かが現れる。
ただし、
本当に現れるのは、
幽霊ではない。
昼間は平気だった失敗。
忘れたはずの後悔。
もう終わったはずの別れ。
昼なら笑って流せた、
誰かの一言。
あの時、
別の選択をしていたらという想像。
言わなければよかった言葉と、
言えばよかった言葉。
そんなものが、
頼んでもいないのに、
一つずつ戻ってくる。
そして不思議なことに、
昼には大したことがなかったものほど、
この時間になると、
妙にはっきりと輪郭を持ち始める。
夜が、
人を弱くするのではない。
昼の喧騒が、
隠していただけなのだ。
仕事をして、
誰かと話して、
テレビを見て、
スマートフォンを眺めている間は、
聞こえなかっただけなのかもしれない。
夜は何も足さない。
ただ、
余計な音を消す。
そして最後に残った静けさの中で、
人は、
自分の本音を聞いてしまう。
昔の人は、
それを鬼や物の怪の仕業にした。
暗闇の向こうに何かがいる。
そう思った方が、
自分の中に何かがいると思うより、
まだ怖くなかったのかもしれない。
名前をつければ、
正体の分からない恐怖にも、
輪郭を与えることができる。
現代の私たちは、
それをストレスとか、
不安とか、
悩みと呼ぶ。
鬼はいなくなった。
物の怪もいなくなった。
けれど、
丑三つ時に現れるものまで、
いなくなったわけではない。
名前が変わっただけなのかもしれない。
千年前の誰かも、
眠れない夜に、
過ぎたことを悔やみ、
まだ起きてもいない明日を恐れ、
暗闇の中で、
一人、自分の心と話していたのだろうか。
そう考えると、
夜中に人が自分と向き合うということだけは、
千年前から、
少しも変わっていない。
丑三つ時は、
怪談の時間ではない。
人間が、
自分から一番逃げられなくなる時間なのかもしれない。
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