独自研究

まだ名前のない構造を探すために

私たちの身の回りには、説明できそうで、うまく説明できないことがたくさんあります。

なぜ、同じ言葉なのに人によって受け取り方が違うのか。
なぜ、正しいと分かっていても行動できないことがあるのか。
なぜ、ある場面では合理的に考えられる人が、別の場面ではまったく違う判断をするのか。

心理学、社会学、言語学、認知科学。
既存の学問を調べれば、その多くにはすでに何らかの説明が存在するでしょう。

けれど、それでも残るものがあります。

「説明は分かった。でも、何かが足りない」

そんな小さな違和感です。

普遍構造研究部は、その違和感を無視しないところから始めます。

違和感を拾う

研究という言葉を聞くと、最初に必要なのは知識だと思うかもしれません。

もちろん知識は必要です。

しかし、そのもっと前にあるものを私たちは大切にしたいと考えています。

それは、

「なぜだろう」

と思うことです。

日常の会話。
仕事。
人間関係。
買い物。
SNS。
ニュース。
本を読んでいるとき。
誰かの何気ない一言。

そこには、ときどき小さな引っかかりがあります。

多くの場合、その違和感はすぐに消えてしまいます。

「そういうものなのだろう」

そう考えてしまえば、それ以上考える必要はありません。

けれど、その違和感の中に、まだ説明されていない何かが隠れているかもしれない。

普遍構造研究部では、まずそれを拾います。

正しいかどうかは、まだ分かりません。

重要なのは、違和感が存在したという事実を捨てないことです。

仮説を立てる

違和感を拾ったら、次に考えます。

なぜ、この現象が起きたのだろう。

そこで私たちは仮説を立てます。

仮説というと難しく聞こえますが、最初はもっと素朴なものでも構いません。

「もしかすると、こういうことではないか」

そこから始まります。

重要なのは、仮説を答えにしないことです。

自分で思いついた説明は、とても魅力的に見えます。

だからこそ危険でもあります。

自分の考えに合う事例だけを集めれば、どんな仮説でも正しく見えてしまうからです。

そこで、

別の説明はできないか。
反対の事例はないか。
すでに似た研究は存在しないか。
条件を変えても同じことが起こるのか。

そうやって、自分の仮説そのものを疑ってみます。

仮説とは、守るものではありません。

壊してみるために置くものです。

それでも残ったものがあれば、そこから次の問いが生まれます。

分野をまたぐ

人間は、心理学だけで動いているわけではありません。

言葉だけでもありません。
社会だけでもありません。
生物だけでもありません。

私たちが日常で経験するひとつの現象の中には、さまざまな要因が同時に存在しています。

だから、ひとつの分野だけを見ていると説明できないことがあります。

心理学から見ればこう見える。
言語から見れば違って見える。
社会構造から見れば、また別の説明ができる。

そして、ときにはまったく関係がないように見える分野に、同じ形が現れていることがあります。

私たちが探したいのは、そこです。

現象そのものではなく、

異なる現象の奥に、繰り返し現れる構造。

必要なら心理学から言語へ移ります。

言語から社会へ。

社会から認知へ。

さらに必要なら、統計や科学、哲学にも足を伸ばします。

分野を混ぜること自体が目的ではありません。

ひとつの現象を理解するために必要なら、境界線を越える。

それだけです。

答えを急がない

問いを持つと、人は答えが欲しくなります。

検索すれば、すぐに答えらしいものが見つかります。

AIに聞けば、数秒で整理された説明が返ってくる時代にもなりました。

これは、とても便利なことです。

一方で、便利だからこそ気をつけなければならないこともあります。

説明が存在することと、その説明で十分であることは同じではありません。

名前がついている。

論文がある。

多くの人がそう説明している。

それでも、目の前の現象を完全には説明できていないかもしれません。

だから、私たちは答えを急ぎません。

分からないものは、分からないまま置いておく。

証拠が足りなければ、仮説のままにする。

別の可能性があれば、それも残しておく。

そして、新しい材料が見つかったときに、もう一度考える。

研究の価値は、必ずしも答えを出すことだけにあるとは限りません。

良い問いが残れば、その問いを別の誰かが考えることもできます。

間違っていた仮説も、なぜ間違っていたのかが分かれば、次の思考につながります。

だから私たちは、

答えを当てることより、問いを正しく育てること

を大切にします。

形にする

そして最後に、考えたものを形にします。

頭の中だけにある考えは、その人の中でしか存在できません。

文章にすれば、誰かが読むことができます。

図にすれば、文章では見えなかった関係が見えるかもしれません。

動画にすれば、別の入口から伝えることができます。

さらに考察が積み重なれば、ひとつの研究としてまとめることもできるでしょう。

場合によっては、書籍という形になるかもしれません。

ここで重要なのは、完成品だけを発表することではありません。

問いが生まれた段階。

仮説を考えている途中。

調べてみたら予想と違っていたこと。

最初の考えを修正した理由。

そうした思考の過程そのものにも価値があると考えています。

普遍構造研究部の「独自研究」では、完成した答えだけではなく、その途中もできるだけ残していきます。

そして、また違和感へ

違和感を拾う。

仮説を立てる。

分野をまたぐ。

答えを急がない。

そして、形にする。

形になったものを眺めていると、そこからまた新しい違和感が生まれるかもしれません。

そうなれば、もう一度考えます。

おそらく、この繰り返しに終わりはありません。

人間について分かったと思った瞬間に、例外が現れる。

社会のしくみを説明できたと思ったら、時代が変わる。

言葉を定義したと思ったら、その境界に収まらないものが出てくる。

だからこそ、考えることができます。

普遍構造研究部が探しているのは、最初から名前のついた答えではありません。

一見すると関係のない出来事の奥に、同じような形が現れてはいないか。

私たちは、その小さな兆候を拾い続けます。

まだ名前のない構造を探すために。

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